わたしはすでに世に勝ちました 日曜礼拝メッセージ

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  • Опубликовано: 20 дек 2024

Комментарии • 4

  • @平野信喜
    @平野信喜 4 месяца назад

    竹腰先生、メッセージありがとうございます。
     ヨハネ16.33の「私はすでに世に勝っている」というみ言葉を以前では理解できませんでした。これは、苦難に遭ったイエスがそれを克服した文章です。なぜ、イエスの私はすでに世に勝っているというイエスが私も世に勝っていることになるのか不思議でなりませんでした。これを体験する人はイエスと共に実践し、それに疑問を持たず、一貫して信仰を貫く人だったと思います。
     例に出された筆子さんは、自分が障害児を産んで、母親として育てなければならない使命を持ったと思われます。障害児の母親でなかったら貴族社会で苦しみを受けず、人生を送ったと思われます。イエスは、多くの人の罪の贖い、救いという使命を持って十字架にかけられました。これがイエスの使命なのです。それができるのはイエスと全く同じ贖いの苦しみを持って人生を送った稀な人と思われます。
     私は違います。苦しみや悩みがあると、そこに流れます。本当にちっぽけな人間です。それでも軌道修正して、信仰を保つようにできるのは、小さな弱い人に仕えるイエスを聖書で知ったことでした。わたしも人生で小さく弱い人間と関わりあってきたからです。一貫してイエスを信じて従ってきた人間ではありません。だから細々と付いていっているのです。自分の信仰の在り方が分かって良かったと思いました。メッセージありがとうございました。2024年8月13日  平野信喜

    • @elim_christ
      @elim_christ  4 месяца назад

      いつもコメント、ありがとうございます。
      細々と歩む足取りに、ゆっくりと進んでいく足取りに、時には止まってしまう足取りの中にしか見えない世界、恵みがあると思います。
      私もちっぱけな人間です。大股で堂々とした歩みではありませんが、細々とした歩みの中に、主の恵みを思います。
      今日も主の恵みの中に生かされていることを感謝します。平野さんの健康が守られますようにお祈りいたします。

    • @平野信喜
      @平野信喜 4 месяца назад

      私のメールの先生の誤解について
      竹腰先生、一生懸命週報の返事を書きましたが、先生は全く誤って、私の文章を捉えました。イエスが世に私は勝っているというみ言葉が、なぜ私が救われたのかの疑問でした。これはイエス自身の私たちの罪をあがなう使命としての信仰告白だったのです。
       私がすくわれたのは、イエスが弱い、小さな人間に立って救ったことでした。それは新約聖書に貫かれています。そのイエスの勇気や人間性に支えられて私は生きています。わたしは、先生のいうようにちっぽけな人間で堂々として歩みをしていません。また、主の恵みで生きています。そうでなく、わたしがイエスのように人々の罪の贖いで、生きていないのです。 イエスの小さく、弱い人間を救ってくださったお方を信じて生きているのです。なお、明日の主日礼拝は出席できます。よろしくお願いします。
      2024年8月17日  平野信喜

    • @elim_christ
      @elim_christ  4 месяца назад

      イエス様の小さく、弱い人間を救ってくださるお方を信じて生きているとのこと、よく理解できました。
      イエス様の素晴らしさを、日々、思いながら、知らされながら、主の恵みを体験していきたいと思います。感謝します。